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絵が上手くていいな、羨ましい、自分は描けないという人たち

この記事を読むのに必要な時間は約 9 分です。

絵が上手い、羨ましいと思うだけじゃ上手くならないよ。
昔、言われたことがあるんですよね。

「絵がうまくていいな」とか、
「なんでそんなに描けるの」とか。

 

同じことを言ったことがある人。
同じことを言われたことがある人も居るでしょう。

たぶん私も過去には、
誰かに言ったことがあると思う。

 

これは少なくとも
自分との比較で出る言葉なんだけども、
それは目の前の結果しか見ていない言葉
なんですよね。

まぁ、よく言っちゃう言葉でも
あると思うけど。

 

で、だいたい続けて

「自分はうまく描けないのに」

と言うんです。

 

その言葉を発する人たちが
本当はどう考えているのかは
わからないけれど、

それは当然のことなんですよね。

絵が上手いから羨ましい?それには理由がある

殆ど絵を描いたことがないのに上手い、
という人も本当にごくまれに居ますけど。

 

でも絵が描けるほとんどの人は、
それなりに絵を描いてきているから
描けるのであって、

描いているから描ける。
描いていないから描けない。

そういうことであって、
当然のことなのです。

 

絵を描くということは、
ものの見方や目、
手の訓練でもあるわけですから。

だからたとえ、
ある程度は絵を描いていたとしても、
描いている内容やこだわり方によって
上達具合も変わっていくものです。

見るもの、描くもの、こだわりとそこに費やす量の差

絵を描いてきたという人のなかでも、
みんながこれまで全く同じものを
見て描いてきているわけではないし、

なにを見てどう描いているのか
みんな違うもの。

どこで「よし」とするのかも違う。

 

例えば同じものを
同じ時間で見て描いたとしても、
結果がまるで違うことがあるでしょ。

形も違えば、陰影も仕上がりも違う。

どれくらい形ができればいいのか、
どのくらい描き込めばいいとするのか
で違うものになる。

まさにそれの積み重ねなのですよ。

 

どれだけ自分が一生懸命に描いても、
今の時点では全く及ばないくらいに
上手い人は沢山いるけれど、

それは、その人が
それだけの年月、時間をかけて

よくものを見て考えて、
手を動かしてきた結果であるから
それが違いとなって結果として
残っているわけです。

 

費やしてきた質と量と時間が違えば
違うのは当然だし、

またそこに、人によっての力量だとか
センス・性質なども違うわけなので

たとえ同じようにやったところで、
同じにならないというのも
当たり前のことなのですよね。

早さを取るか上手さを取るか

例えば、私に言ってきた人たちの場合、
私よりもよっぽど多くの量を描いていました。

だから描くのは圧倒的にその人たちが速い。

漫画を描いても、ページ数は多いし
仕上げるのも早い。

 

でも一枚の絵の仕上がりだけを見ると、
その人たちにとって私の絵のほうが
少々上手く見えたようです。

しかしこれはただ、
それだけのことなのですよ。

 

私はその人たちよりも少々、
一枚絵の質にこだわって描いてきただけ。

だから逆に、仕上げる速度は圧倒的に遅い。

枚数を仕上げて完成させることを
ゴールとするならば、
私は全くその人たちに敵わないわけです。

 

そして私にも、その人たちを
羨ましいと感じる部分があったわけですよ。

それは、速さとセンスの良さ。

速さの副産物?センスの良さ

描くのが速いその人たちは、
何故かセンスがいいのです。
(少なくとも、私のその知人たちの場合は)

もちろん個人差はあるでしょうけどね。

 

描くのが速くて
多くを仕上げていくからか、
感覚がよく、センスがいいのは
圧倒的にその人たちの方なんですよね。

 

いいものを素早く取り込んで、
自分の作品にする力がある。

一気に完成させる回転数が多いから、
自然とセンスが鍛えられていくのです。

…と、私は勝手に思っているわけですが、
あながち間違っては居ないと思います。

 

つまり「絵が上手い」と言っても、
自分が何処に視点を置いて、
何を求めるかが大事なのかなと思うのです。

自分は何を目指すのかを明確にする

何ごとも、いい面があれば、
よくない面もあるものですよ。

絵を描く人にとって、
早くて上手くてセンス良しが一番いい。

けれどもそれを目指すなら、
鍛えなければいけないことが
沢山あるわけなので、結構大変なのです。

 

人を羨ましがるばかりでは意味がない。

自分が欲しい技術は、自分で目指して
自分なりに伸ばさないことには意味がない。

「いいな」と思うばかりで
そのままにしておくのは、

このままでいいと思っていることと
同じなのです。

目的が明確な知人の例

以前、私にこんなことを言った知人がいました。

自分は好きなものを描きたいから、
デッサンが多少狂っていても気にしない。

描きたいときに描きたいものを描く。
そうしないと消化しきれない。

といった内容です。

 

この人はすごく描きたいパワーが
溢れている人で。

自分の「好き」で「描きたい」ことを
消化するために絵や漫画を描いているのです。

好きなキャラを自在に自分が動かして
絵や漫画を「描く」という行為に重点を
置いているわけですよね。

 

ここまで目的が明確なのはいいなと
私も当時、清々しく思いました。

それと同時に、絵を描く目的は
人それぞれなのだと、改めて認識したのです。

自分が伸ばしたい事を明確に決めて描く

目的が明確であれば、あとはそこを目指すだけ。

伸ばしたいところが伸びないというのは、
そこを伸ばすための練習をしていないから。

昔の自分にも言ってやりたいことですね。

 

まずは自分がどうなりたいのか。

これって大事だなと思います。

絵がうまくなりたい、
だけでは範囲が広すぎる。

だから何をやっていいかわからないし、
やりたいことがぼやけてしまう。

 

たとえば一つの範囲を決めてしまう。

・30代の骨太女子が描けるようになりたい
とか、
・競走馬をかっこよく描けるようになりたい
だとか。

範囲をあるていど狭めて、
その理想に近い資料をたくさん集めて
真似して何枚も描いていく。
すると少しずつでも理想に近付くことができる。

 

もし自分が目指したい絵がわからない場合
こちらの記事もどうぞ。
人の絵と比べてしまうときを活用する

 

それは絵を描くことだけじゃなくても、

漫画の構成や表現力を高めたかったら、
沢山の漫画を見て、
どんなシーンでどんな表現やコマ割りを
しているかなどを研究してみるといいし、

 

センスを磨きたかったら、
自分が憧れるセンスのいいものを集めて
構成や色合いなどを真似て描いてみるとか

いろいろ手段はあるわけです。

 

今はいろいろなものが
ネットを通して手軽に見れる時代。

昔と比べたら絵描きにはいい時代よ。

活用しない手はないよね。

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