ぺんさいと~管理人と絵との関わり、今現在と今後~

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『ぺんさいと』の管理人に興味を持っていただいて有難うございます。

何の参考にもならないですが、私のつたないお絵かき歴と絵との関わりについて書いておきます。

管理人と絵の関わり~子供の頃から初就職まで

そもそも私が絵を描き始めたのは、
覚えている限りでは小学生くらいからかな~と思います。

というのは、私は子供の頃のことをあまり覚えていないからで…。

何度か引っ越しもしていて、幼少期の頃に描いたものなどもほぼ残っていないからです。

幼稚園の頃に描かされた絵は人まね

幼稚園に入ったのは4歳からで、そこで花の絵を描かされたことを覚えています。

眼の前に置いてある鉢植えの花。
小さめの木で、赤い花が沢山咲いていたと思います。

今思い起こすと盆栽…みたいな感じでしょうか。

そのとき、それをどう描いていいのかわからず、困った私は、隣の子が描いていたのを真似して描いたという覚えがあります。

で、案の定、幼稚園の先生に指摘されたという記憶が…

見ている角度が違う絵を描いたので、当然大人にはバレますわねぇ…。

他のことは殆ど覚えていないのに、何故かこのことは顛末まで覚えている。

幼稚園の頃に絵を描いた記憶はこれだけ。

 

それにしてもこれはどう考えても、私には絵を描くという特別な才は感じられませんよね。

小学生の頃に嵌ったアニメ・漫画・イラスト

おそらく絵を自主的に描き出したのは小学生の頃。
特に『ときめきトゥナイト』に嵌って模写しまくってました。

その前に絵本のイラストに惚れてたかな。
それは高橋真琴さんのイラスト。
(お名前を知ったのはつい数年前です)

女の子の絵がとてもキレイで可愛らしかった。
塗り絵とかきせかえとかが大好きで、集めていました。

現物が残っていないのでわからないですけど、きっと真似して描いていたことでしょう。
(あまり記憶がない)

暇さえあればいろいろな漫画やイラストを模写していましたね。

『りぼん』『なかよし』
『週刊少年ジャンプ』『コロコロコミック』
この辺の系統ですね~。

私の周囲には、同じように絵を描く人はいなかったんですよ。

だから当時、上手いのか下手なのかなんてわからなかった。
ただ好きで描いていましたよ。

中学生になると別の系統の漫画に嵌って、それからも模写しまくりでしたね。

『月間プリンセス』『週刊少年ジャンプ』あたり。

高校は美術部、しかし特に何も教えてもらえず

高校で美術部があったので入ってみたけど、顧問の先生は特に何も教えてくれることはなく…
「好きに描けばいいのよ」と。

あ、木製パネルに水張りをする方法は教えてもらえましたね。
それだけです。

絵に関して何かを教えて貰えることはなかったので、だからずっと独学。
自分勝手に思うがままに、好きなものを描いていました。

住んでいたのは田舎だったし、本屋もろくに無く、絵の専門書なんかがあることも当時は知らなかったですからね~。

一緒に描いていた友達はセンスが良かった。
みんな趣味がまるで違ってたのも面白かったですね。

その中のひとりから教えてもらった音楽に嵌って、高校三年生のときに初めてその子と同人誌を作って遊んだりしてた。

パンフを見てひたすら模写をしたけど、人間(の写真)を模写するのはおそらく初めてだったかも。

初めての就職はゲーム制作会社…しかし体を壊す

高校を卒業すると、アニメ系の専門学院に行かせてもらえたけど、そこでは授業で具体的に「絵を描く」ということを教わることは無かったです。

学校の下調べとかを事前にちゃんとやってなくて、勝手に一から教えてもらえると思い込んでいたので、後悔しましたね。

そもそも手早く絵を描かないといけないアニメの世界は、結果的に自分には向かず。
入ってからそれじゃあ駄目なのにね。
せっかく行かせてくれた親には本当に申し訳ないことをしたと思います。

 

でもここでひとつ自信になったこともあります。

学院内のイラスト展があったのですが、ここで何度か賞を頂けて賞金ももらえました。

イチ学院内ではありますが、私のイラストは人様から見てそれなりに見れるものなんだね、という…そんな自信になりました。

 

在学中に大手のゲーム会社を数社受け、事前審査(ポートフォリオ)と実技試験は通ったのですが、面接で落ちました。

あがり症で極度に緊張して挙動不審。
ろくに喋れなかったからね…それは自分でも納得。

その後、就職したのは小さなゲーム制作会社。
ここではあまり緊張しなかったんよね。

当時その会社はプレイステーション用のゲームを作っていて、制作に使っているパソコンはWindows3.1。
しばらくしてWindows95が出て話題になっていたそんな頃でした。

その会社はけっこうブラックで…。
ろくに給料がもらえず暮らせなかった。
通えば通うほど、交通費で赤字が膨らむという悪循環。

そして無理がたたって体を壊し、ついには会社を辞めました。
それから十日間くらい寝込みましたかね…。

絵の関係ではない仕事で疲弊、描けなくなる

田舎に戻ったらゲーム会社なんてなく、絵を描く仕事なんかない。
そこからはもう、絵とは全く無関係の仕事にばかり就きました。

お金を貯めてまた都会に行くぞ、と当初は思っていたけれど、そんな思いもいつの間にかかき消えた。

仕事のいろいろなストレスから、気力がどんどんなくなっていったのですよね。

 

自分に合わないことを無理して続けると、ろくなことにはならないものです。

そうこうしているうちに、私のお絵かき歴は途切れ途切れになりながら、ついに止まってしまったのですよ。

 

まぁ、仕事やら人間関係からのストレスなどから病んだりして…
常にシを意識するような状態のときもありました。

こうなると楽しいことも好きなことも無くなってしまうのですよね。

何も感動できなくなる。
何もやる気が無くなる。

一度心を失うと、それを取り戻すのは結構大変。

けっこう…かなりの年月を要します。

ときどき、どきどきの同人活動

時を少々さかのぼり…時間的にも気持ち的にも余裕のある仕事に就いていた頃は、余暇に時折、同人誌などを作って遊んでいました。(お金の余裕は殆どなかったけれど)

小さな同人イベントへ出かけ、そこで仲間ができ、イベント外でも遊びに行ったりとかね。

もう随分以前、同人活動が今ほど一般的ではない頃のことですけど。

 

当時は二次版権ものを描いていたのですが、この頃はそれを描きたいあまりに、アニメの映像を止めて模写したりしていました。(当時はまだビデオテープの頃ですよ…)

この練習法はなかなかいいですよ。

描きたい場面で動画を止めつつ、主要なシーンを模写するのです。
描ける幅がぐっと広がるし、動きをイメージする感覚も研ぎ澄まされます。

この頃が一番描いていたし、楽しかった。
描くのも自分史上、一番早かったですね。

しかしそれから忙しくなり…描くことができなくなりましたけど。

 

その後は、知人から依頼があれば引き受けて、漫画やイラストを描いていたというくらい。
その時描くだけでは、やはり画力もどんどん落ちますわ。

今現在から今後へ向けて

また絵を描きたいと思うようになったものの、自分は何が好きなのか、何が描きたいのかがわからないと言う始末。

それでも自分には絵を描くことしかないな、と思うに至り、このサイトを作り始めました。

この時点で絵を描くのは何年ぶりだったろう…。

 

それからもたびたび絵から遠ざかることがありましたけど、少しずつ、絵を描くことを通して好きなものを取り戻していっています。

まだまだ描きまくっていたときの感覚は戻っていないのですが、以前よりは絵が描けるようになってきました。

少しずつでもどんどん描けるようになるために、今後も継続して活動していきます。

気負わず騒がず観念して、気長に絵を描く

私の中にはずっと絵を描きたいというのがあって、それが何かしらの支えになっていた、ということがあるのでしょう。

一度や二度、三度でも、何度遠ざかったとしても、また好きなことに戻って来る。
自分を取り戻して、また何かを始めるために。

 

やりたいことを無視し続けていけば、いつまでもモヤモヤが拭えない。

あとはそのまま歳を取ってゆくばかり。

 

好きなことは好きで、他人に下手だとかとやかく言われても、自分なりに楽しくやっていければいい。

そのときどきで、上手くなりたかったり、楽しければよかったり、どうでもよくなったりといろいろあるけれど、あまり気負わず騒がず観念して、気長に絵を描くということと向き合うことに決めました。

 

好きなことは何処かで自分を支えるものです。

だから他の人にも、好きなことは辞めないでいてほしい。

心の平安を保つためにも、好きなことは大切なこと。
好きな場所を作って、好きなことを続けてほしい。

今が一番若いというけれど、ほんとだよ

歳を取るとね、いろいろ当たり前のことができなくなっていくものです。

これはなってみないと本当にわからないよ。

怪我や病気以外にも、老眼とかね、手元が定まらないとかね。笑。

もうね、ぜひ目も手も確かなうちに、やりたいことはしておきましょうよ。
いや、現時点で多少の支障があったとしても、できるうちにやっておきましょう。

 

私も早く描きたい絵を描いていかないと、体がぁ…ということを思うようになりました。

好きなことはできるうちにやっとけ。

なにより、自分のために。

 

何歳になっても、今現在の自分が今後の未来の中で一番若いのですから。

今の若いうちに、やれることをやっておこう。

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